VR技術の遷移について、歴史を紐解いてみよう。
VRの誕生
1960年代
1962年に、映像技師のMorton HeiligがSensoramaというVR体験装置の試作機を開発した。
映像に合わせて風が吹いてきたり、匂いがただよってくる仕組みである。
今で言う4D映画のようなもので、ユーザーの入力に対するレスポンスがあるものではなかった。
The Sword of Damocles
1968年、Ivan Sutherlandの手によってヘッドマウントディスプレイ型のVR機器が誕生した。
その名も「ダモクレスの剣」。
天井から吊り下げて使用するため、この名が冠された。
製作者の天才っぷりもわかる動画を発見した。
ヘッドマウントディスプレイ型への遷移、UIの向上
1980年代
VPL Reserch社 Eyephone
1989年にJaron Lanierが設立したVPL Researchが開発。
データ・グローブ (Data Glove)・アイ・フォン(Eye Phone)・オーディオ・スフィア (Audio Sphere)が作られた。
これらを組み合わせると、「レンズで仮想世界を視、グローブで仮想世界を触わり、スフィアで3D音響を聞く」ことができた。
発音はアイフォンだが、アップル社の製品とは全く関係がない。
商業的に市場に進出するも、下火になってしまったVR達
1990年代
任天堂 バーチャルボーイ
1995年発売の「早すぎたゲーム」。
目が悪くなりそうな真っ赤な画面。
平和なマリオでさえホラー感漂う。
視力回復に役立つ?
特徴的な赤い光や、立体視によって視力が回復するという研究結果があるという噂。
バーチャルボーイに関しては一次ソースを見つけることができなかった。
単なる噂でしかないのだろう。
商業的な失敗
1995年7月21日 希望小売価格15,000円で世に放たれたバーチャルボーイ。
全世界累計出荷台数は77万台に終わった。
1997年に書かれたテキストサイトでは、1,000円でたたき売りされていたことがわかる。
さて、ある日、「バーチャルボーイ」と書いてある箱を見つけた。えーと何だっけ。そういう
ゲーム機があったっけなあ、たしか・・・売れなかったんだよなあ、と、それくらいの知識しか
なかった。値段を見ると¥1,000-、おおっ、これは休日のオモチャにするにはちょうど
良い!(本来オモチャなのだが)
https://www.protom.org/mad/0075.htm
Forte Technologies VFX1
こちらも1995年発売のPC用VR機器。
お値段695ドル。
当時の相場で約55,000円。お高い。
こちらも余り売れずに市場から消え去ったようである。
バーチャルボーイよりレアなようで、最近の中古取引価額は30,000円であった。
松下電工 VIVAシステム
こちらは「住空間シュミレーションシステム」である。
要は部屋の間取りを仮想体験できるシステムだ。
操作は装着した黒いグローブで行う。
人差し指を前へ突き出すと前進・チョキにすると後退・パーにすると止まるといった具合だ。
お皿などの小道具も配置されており、グーにすることで掴むこともできる。
(これは上記VPL社のEye Phoneを使用したものである。)
当時は「松下電工ナイスプラザしんじゅく」に設置されており、商業ベースでの実用化は松下電工が世界初であった。
ジョーバは,家庭でのフィットネスを目的として開発・販売されているもので,馬の歩容をシミュレートしたものである。馬の左右の足並みに応じて前後スライド,前後スイング左右スライドの動作を組み合わせた動作を行う。従来より,乗馬はその運動の穏やかさと乗馬という特殊な環境の持つ訓練に対する意欲向上の可能性からリハビリテーションに有効だとされている。
普及型乗馬シミュレータを用いた在宅リハビリテー シ ョンシス テム の開発
1990年代にはVRを用いて介護を行う計画が立てられていたのである。
VR元年の時代へ
2012年 Oculus Rift
Kickstarterで275ドル支援すれば「DOOM3」と共にOculus Riftが手に入った。
Kickstarterでは公開から1日も経たずに目標額である25万ドルを達成した。
2016年 VR元年
HTC vive
2016年4月5日発売。
この段階では「ベースステーション」と呼ばれる装置を部屋に設置する必要があった。
ベースステーションで囲んだ空間がVR空間になるといった仕様だ。
PlayStation VR
PlayStation専用ではあるが、VRブームの後押しに一役買った・・・のか?
Vtuberの台頭
2016年11月29日、キズナアイが動画を初投稿。
2018年ではVtuberは1万人を突破した。